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教员活动
Faculty Voice Series Episode 6. 水野 智仁 教授
学生のみなさんが教室で见る教员の姿、そして、本学を目指す受験生が、パンフレットや着书から知る教员の姿は、ほんの一面でしかないのかもしれません。
そこで、Faculty Voice Seriesをスタートし、本学の教員の真の姿に迫るエッセイをリレー形式でお届けすることにしました。専門分野や研究内容だけでなく、趣味、人生観、若き日の想い出など、様々な角度から語られるそれぞれの教員の人柄に、ぜひ触れてみてください。Episode 6.は、水野 智仁(みずの のりひと)教授です。
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水野教授は、米国において博士号を取得するとともに复数の大学で教鞭を执ってきました。2007年4月に本学に着任し、2016年からはグローバル?スタディズ课程の课程长を务めています。东アジア研究、特に近世?近代における日本と东アジア诸国?地域との関係史を専门とし、近年は19世纪末から第二次世界大戦终结までの东アジア各地における邦人コミュニティ及び邦人子女教育机関に関する研究に取り组んでいます。
今回のテーマは「私の知られざる趣味」です。

私の「密かな嗜み」
「知られざる」というほど覆隠しているわけでなければ、「嗜み(ないしは趣)」と呼ぶべきか否か我ながら定かでもなく、またそう呼ぶにふさわしいものなら他にもないわけでもないが、実は、物心つくかつかぬかのうちから时代剧の「大」のファンなのである。病膏肓に入るというほどではないが、「フリーク」と呼ばれてもあえてそれに抗うつもりもない。
いささか大袈裟な言い方をすれば、子供の顷から时代剧を欠かさぬ日はない。出张などで家を空ける时などを除いて、週日であれば夕食后の少なくとも一时间はそれに费やす。週末ともなれば撮りだめしたものをみるのに忙しいこともある。今现在も昭和末年に放映された『水戸黄门』第17部と第18部のうちの10话ほどを见终えていない。大学进学で上京すると、いわゆる「歌舞伎沼」にはまり込んでしまい、毎月の歌舞伎座通いは卒业まで続くことになる。今は木挽町までがあまりに远く、それがここ秋田での生活の唯一にして最大の不満ではある。
节句饰りと人形に囲まれて
自身を斎藤茂吉の生まれ変わりではないかしらと思うほどの无类の鰻好きでも英国の煮凝(ゼリー寄せ)だけは手に负えないように、时代剧も何でも御座れというわけではない。歌舞伎は、时代物から世话物、古典から新作、舞踊に至るまで好悪の别はないが、「スーパー歌舞伎」を唯一の例外とする。テレビ时代剧と映画に関しては、若い时分は派手なチャンバラや戦国合戦ものを好んだが、寄る年波とともに「水戸黄门」のような戯画的な勧善惩悪剧よりかは、周五郎や池波、藤沢等の人情时代剧系がより驯染むようになった。股旅物と忍法物には昔からあまり食指が动かない。新选组に至っては、纳豆、烟草同様に生理的に受け付けない。制作年代も好みを分かつところで、昭和30年代の「黄金时代」の时代剧映画には娯楽性に富み见ごたえがあるものが多い。役者の颜ぶれもさることながら、装置の规模や壮大さや演出の派手さは最近の作品の到底及ぶところではなく、何につけても作品の醸し出す雰囲気というものが违う。私が歌舞伎の「沼」にはまったのもその雰囲気というやつなのだが、バブル期以降の作品は、「鬼平犯科帐」や(大河ドラマ以外の)狈贬碍时代剧などの一部を除けば、その点で「残念」が目立つ。
絣の着物にお気に入りの赤鞘の模造刀を手にして
では、私が时代剧の「沼」にはまり込んだ原因であるが、はまり込んだというよりはむしろ「生まれ落ちた」といった方が适当なのかもしれない、と思う。というのも、振り返れば幼稚园に上がる前から同年顷の子供たちが好むようなものにはさして见向きもせず、玩具といえばプラスチック製やアルミ製あるいは木製の日本刀で、母や祖母に着物を着せてもらい刀を差せば机嫌が良かった。毎年端午の节句と10月に故郷名古屋で开催される郷土英杰行列が待ち远しくて仕方がなく、闻くところでは、思いがけず道端で伞を毛枪に见立てて「下に~下に~」と奴のマネをやらかしたこともあったという。そんな子供が时代剧にのめり込むのはある意味自然の成り行きだったと言えまいか。幼稚园でより多くの同年代の子供たちと接するようになると、たしかに「今时」なものにも兴味を示すようになり几分の精神的苦痛と葛藤を伴いはしたものの、二本差しやらお殿様の类などもはやこの世には存在しないのだという现実についても、受け入れることもできた。しかしながら、叁つ子の魂という。モダンなものや新规なものに対する几分の反拨心をも含んだ心地の悪さについては、ついぞそれが心のうちから消え去ることはなく、知命を过ぎて今日に至る。
七五叁用の黒纹付きを着て実家の里庭にて
今こうして歴史をいじることを生业とするようになったのも、幼児期からの时代剧好きと関係がないはずもなく、时代剧は今后も私の生活において不可分であり続けるに违いあるまいが、今や映画?テレビの别なく时代剧は危机に濒している。歌舞伎にしても、ひところより歌舞伎座の入りが良くないと闻く。そしてそこにコロナ祸の追い打ちである。歌舞伎に限らず舞台演剧の「奥颈迟丑コロナ」でのありようを见通すことはなかなか容易ではあるまい。しかしながら。问题には必ず原因があり、またそこには解决策もあるはずである。时代剧の衰微する原因とその打开策について语るべきは少なくないが、それはまたの机会に譲りたい。
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